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2024年1月12日慶應義塾大学で「未来を創る授業」開講

先日1月12日慶應義塾大学、幸福学の前野隆司教授のクラスで「未来を創る授業」を開講させて頂きました。

慶應義塾大学では2回目の授業になります。

今回もリアルとオンライン両方で皆さんとインタラクテイブな授業をやらせて頂きました。

講師は森悠輔さんとお母さんの幸子さん、そして悠輔さんの双子の弟、涼輔さん。

悠輔さんは脳性麻痺の双子の兄として生まれました。

彼は今まで障がいを物ともせずに多くのことにチャレンジしてきました。

車いすラクビー、チアーリーデイング、シンガポール大使館でのスピーチ等。

現在の一番の夢はタクシー運転手になることです。

 

学生の皆さんに3人のバックグランドをして頂いた後、「皆さんは悠輔くんと一緒に何ができますか」そして「皆さんは悠輔くんの為に何ができますか」二つの問いを投げました。

一人の大学院生が言いました。

「私は自動車メーカーに勤めています。彼が運転しやすい車を研究、開発してみようと思います」

 

今回の授業でまた「一つの可能性」が実現に向けて可視化されたように思います。

これからも共生社会を前に進めていくために、「障がい」を多くの方々に知って頂き、さらに交流を深めることで「実現」の「可能性」を目に見えるものにしていきたいと考えております。

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2023年9月4日-【記憶障害の青年】 10分しか保てない記憶で挑むアートの世界

佐川陸(りく)さんは4年前、16歳(高校2年生)の時に突然脳出血に襲われました。 記憶障害等の高次脳機能障害。 失語症。 右の視野の欠損。 多くの障がいを負った陸さん。 脳出血を起こした人は人格が変わるという。 陸さんの性格も勝気で負けず嫌いだったものが穏やかで優しいものになった。 お母さんの暁子さんはいう。 「そこに寂しさを感じます」 病院への搬送時には瞳孔が開き生死の境を彷徨っていた。 呼吸は止まり、心臓が衰弱。 呼吸器をつけていた陸さん。 朝、陸さんが倒れたときに一緒にいたお母さんの暁子さんは言います。 「今でもその時のことを思い出すと過呼吸になります」 陸さんは脳出血に襲われるまで、お父さん(佐川功二さん)のように公務員になりたかった。 しかしその道が閉ざされ、行き場のない思いを抱えていた陸さん。 そんな彼に、得難い出会いがあった。 藍コンクリートアートの第一人者、喜田智彦さん。 新しい道に一歩踏み出した佐川陸さん、お父さんの功二さん、そしてお母さんの暁子さんに密着しました。 是非ご覧ください。




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